トレーナー紹介

このページを覗いていただいてありがとうございます!

ここでは僕のトレーナーとしての遍歴やこれまでやってきた競技やトレーニングについてお話しします。

今通っていただいている方は「この人なんか変なこと言ってる…」と思っていたことに合点がいったり、トリプルエフに興味を持って頂いてる方はお話しやすくなると思います。

ではさっそく見ていってください!

病弱だった幼少期

今では誰も信じてくれませんが、幼い頃は本当に病弱で習い事のように病院に通っていました。
喘息や気管支炎、慢性的な鼻炎で、深呼吸するとゼーゼーするのは当たり前だと思っていたくらいです。

どのくらい通っていたかを象徴するような思い出があります。それは耳鼻科の先生にクリスマスプレゼントをもらったことです。
「どうせ森くんは今日も来るからプレゼントをあげよう」と思ってくれたんでしょう。星の王子さまの文庫本をもらいました。今でも覚えています。

ただ恵まれていたことに両親が食事に気をつかってくれたので、添加物の入った食べ物を気をつけるようになったり、
プールやサッカーなどのスポーツをやらせてくれていたお陰で、運動を毎週やることが習慣づいていました。
今でもソーセージやハムなどの加工肉にはあまり興味がありませんし、トレーニングについては仕事にまでなりました。

お陰で近年はコロナ以外は、風邪らしい風邪も引いていません。

病弱なのに丸々と太っていた子供時代(右)。
左側は同じく病弱な兄。

こんなに丸っこいのに病弱なのは、ちょっと違和感がありますね。

中高生時代

中学校、高校は剣道部に所属しました。

両方とも強くない部だったので、地区大会で1,2回戦で負けるようなレベルでした。
しかし高校の1年の夏に強豪校と強化合宿をしたところ、先輩たちが「俺たちもこのままじゃダメだ」と急に火がつき、
朝練が始まったり、稽古内容もガラリと変わりました。

それまでぬるま湯のような部活が一気に熱湯のように変わりました。
まさに「ゆでがえる理論」のようになり、同級生は次々に退部していきましたが、
僕ともう一人が逃げ遅れてしまい、同級生は二人だけになってしまいました。

夏を境に一変した部の雰囲気を学校側、つまり顧問の先生はどう見ていたのでしょうか。
生徒も大量退部しているわけですから、問題になってもおかしくありません。
ところが元々厳しい部で育った先生だったので、生徒がやる気になって大歓迎ムードでホクホクしていました。

それからは愛のあるしごきみたいな感じで、苦しいながらも充実した部活時代を送ることができました。
成績は残せませんでしたが、先輩の引退試合で負けたときに悔しがって泣く程度には頑張りました。

研修旅行での文化紹介。

ペンシルバニア州まで防具を持って行って剣道を紹介したのですが、

拙い英語のせいか、剣道が下手だったのか思ったより盛り上がりませんでした(笑)

空手時代

大学生になってから極真空手を始めました。
高校生当時はK-1をはじめ、格闘技が一大ムーブメントで、K-1放送後の翌日は試合の感想を興奮気味に喋りながら、
ローキックを蹴り合うという野蛮な高校生活を送っていました。

その中で格闘技をしたいという気持ちが芽生えてきました。
剣道部の顧問の先生が以前極真空手をやっていたので、興味を持ったことを喜んでくれ、
なぜかミットやグローブを買って昼休みにミット打ちをしたりしていました。

大学生になり、部活やサークルには入らず、町の極真空手の道場に入門しました。

空手は各団体ごとにルールが違います。
僕のやっていた空手は素手素足で直接体を叩いていいのですが、
首から上はパンチは禁止で蹴ってもいい、というルールでした。
いわゆるフルコンタクト空手と呼ばれるルールです。

このフルコンタクト空手のルールが僕の性格に合っていたようで、
実際初めて出た試合で、初級のクラスながら準優勝することができました。

練習すると強くなることが面白くて、毎日練習することや多少の怪我では休まないという考え方、
万全の状態でないときに練習を工夫するという習慣ができあがりました。

空手は12年間続け、試合でもそれなりに優秀な成績を収めることができたと思っています。
指導員も7年以上やっていたので、グループレッスンなども実は得意です。

主な成績

・全日本体重別選手権 中量級三位

・全東海選手権 軽量級準優勝

・関東練成会 中量級優勝

・関東練成会 軽重量級優勝

・全関東大会 5位

←一度だけ大会パンフレットの注目選手にもなったことがあります。

この時が一番若く、勢いもあったので、面白いエピソードもたくさんあります。
長くなるので、別ページでご紹介します。お時間のある方は読んでみてください。

トレーナーとして

トレーナーとして働き始めたのは27才の頃からです。

小さな加圧トレーニング専門ジムの事務職(経理など全般)として働き始めたのですが、
すごい加圧ブームでお客さんが常にキャンセル待ち状態だったので、急遽トレーナーとして働き始めることになりました。

僕はそのジムで働き始める5年ほど前から加圧トレーニングを自分のトレーニングとして取り入れていました。
加圧トレーニングが話題になるずいぶん前から、かなりの強度で加圧トレーニングをやっていたので、
知識を持っているトレーナーよりも自分で体感した経験を多く持っていたと思います。

ただトレーニングの専門知識をきちんと持っていなかったので、自分がやってきたトレーニングしか提供できず、
日々トレーニングの書籍や解剖図の本を読んで必死に勉強しました。

また加圧トレーニングは専用のベルトを巻いてトレーニングするのですが、
ベルトを巻いている間や加圧している時間など、ちょこちょこと何もしない時間ができてしまいます。
人見知りで沈黙に耐えることのできない僕は、話のネタを日々仕入れるということを始めました。

ネタ集めは体力任せだったので、自転車で横浜から富士山まで行ったりしたこともありました。

今では過度に緊張せずに人前に立てますが、この空白の時間に少しトークを挟むという習慣は抜けず、お客さんが来ている間はずっとしゃべっている気がします(笑)

長距離種目へのチャレンジ

加圧のジムで働いている間にマラソンブームが来ました。

東京マラソンの第一回目が開催されたり、皇居周辺にランニングステーションができたりと、マラソンが注目されるようになりました。
ジムとしてもその波に乗り、お客さんやスタッフみんなでマラソン大会に参加したり、練習会を開催したりしていました。

この頃はマラソン、トレイルラン、トライアスロンにチャレンジし、特にマラソンに関してはかなり頑張りました。

この時マラソンやトレイルラン、トライアスロンにもチャレンジしました。

パワー系種目へ

高校生までの運動オンチから空手で全国大会出場の常連となったことで、
アスリートとして生きていけるんじゃないかと勘違いした僕は競輪にチャレンジすることにしました。

競輪をするにはパワー不足を感じていた僕はフリーウェイト専門ジムに通いだし、
スクワットとデッドリフトを毎日交互にやりながら、自転車を漕ぐというトレーニングに明け暮れる日々を送りました。

競輪は二度試験を受けたのですが、まったく手応えなく終了しました。
始めるのが遅かったというのも多少はあると思いますが、フィジカルやメンタルがプロになるには足りなかったのだと思います。

その後通っていたフリーウェイト専門ジムで働くことになりました。
そのジムはパワーリフティングやウェイトリフティングを競技として専門にやっている人が通っていました。
そこでトレーニングのフォームについて考えたり、より良い動きを研究するという下地ができあがりました。

2015年和歌山パワー
デッドリフト220kg失敗

2015 ジャパンクラシックパワー出場(83kg級) SQ 180kg BP 120kg DL 210kg 

ケトルベルスポーツとの出会い

たくさんのスポーツをやってきた結果、僕はそこそこ強い力を少し長い時間出し続けるのに向いているということがわかりました。
そこで2015年からこのケトルベルスポーツを始めました。

この画像で扱っているのは1つ24kgの重りで、10分間で何回持ち上げることができるかを競います。
オリンピックで見る重量挙げの回数バージョンをイメージしていただくとわかりやすいかと思います。

はじめたときは根性系のスポーツだと思っていたので、すぐに上達することを想像していたのですが、
今でも試行錯誤の毎日で、楽しい半面もどかしくもあります。

パーソナルジムトレーナーとして

2017年からパーソナルジムでのトレーナーとして働き始めました。
記憶に新しいと思いますが、ライザップのあの低音が流れて人が一周するCMが話題になった頃です。

藤沢のジムで店舗の責任者として活動していました。
短期ダイエットが商品のジムだったので、糖質カットのダイエットのセオリーをご紹介して、毎日皆さんの食事に携わらせていただきました。

不思議なもので、毎日食事の相談をしているうちに自分の食事もどんどんストイックになっていき、この数年で自分自身の体も成長したと思います。

ありがたいことにそのジムにはトレーニング指導のマニュアルなどがなく、自由にさせてもらっていたので、
「短期ダイエットを卒業しても自分でジムに通ってトレーニングできるように」
という一本芯の通ったスタイルでトレーニング指導することができました。

トリプルエフ設立へ

短期ダイエットジムは順調だったのですが、コロナウイルスの流行によって、完全に客足が途絶えてしまいました。
短期ダイエットジムの店舗も閉めてしまったので、僕は自宅にラックを買って引きこもることにしました。

在宅ワークをしようと思い、PCの勉強や動画を作って暮らしていました。
このHPもその当時覚えたことで作ったので、手作りです。ガタガタしているのは、そのせいです(笑)

本当にありがたいことに我が家でこれまでのようにパーソナルを受けたいと言ってくれる方がいて、
本当に細々ではありますが、パーソナルトレーナーとして活動し続けられました。

自宅の一室なので狭い空間ではありましたが、少しずつ紹介で利用してくれる方が増えてきたので、
トリプルエフを設立し、店舗にして正式に活動することにしました。